こんな夜更けにバナナかよを読んだ感想

 皆さんこんにちは、森羅です。今回はついこの前映画が公開された、「こんな夜更けにバナナかよ」の原作を読んだのでその感想を書いていきたいと思います。

1.どんな作品?

 北海道出身のフリーライター渡邊一史さんが、筋肉が徐々に衰えていく難病『進行性筋ジストロフィー』という難病で24時間介護が必要な身でありながら、365日ボランティアを集めて自宅で生活する鹿野靖明さんに取材をし、彼の生き様や彼の周りを取り巻く人々や日常を描いた渾身のルポタージュです。

 映画化されるにあたって原作のエピソードを随所に取り入れ、色々と脚色を加え、ストーリー仕立てにアレンジした小説版が刊行されました。500ページ以上ある原作を読むよりは軽い気持ちで読めるかもしれませんが、やはりここは原作を読んだ方が色々と理解できるのではないかと思います。

2.読んだ感想

 進行性筋ジストロフィーという難病を抱え、24時間誰かの介護が必要な状態にも関わらず、病院を出て、自分を介護してくれるボランティアを自分で集めながら、365日自宅で暮らす鹿野靖明さん。社会的に見れば、弱者と呼ばれる立場の鹿野さんですが家では違った。ボランティアたちに人工呼吸器の使い方や痰の取り方などを指導する彼は、決して弱者ではありませんでした。生きるためにワガママを言い、時にはボランティアと火花を散らしながらも必死に生きていく鹿野さんの生き様は従来の障害者は社会的弱者であるという世間一般のイメージを打ち破るものだと思います。

 そしてこの本では鹿野さんだけにスポットを当てているのではなく、鹿野さんを介護するボランティアにも視点が当たっています。なぜ、彼らは鹿野靖明という男を介護しようと思ったのか、彼らの過去と共にそのいきさつが紹介されています。ボランティアにもそれぞれ違った事情や思い、考え方がある。鹿野さんを通して見えてくるボランティア達の関係性や、考えの違いなど、読んでいて非常に興味深く、面白かったです。また、人が人を介護するとはどういうことなのか、そういった深いテーマについても書かれています。介助ノートに書かれたそれぞれの思いや考えにも触れながら、渡辺さんなりの答えを探し出そうとしているのがわかります。

 第3章からは鹿野靖明さんの若かりし頃に、障害者運動の話を絡めた内容となっています。鹿野さんの若い時代、授産施設で働いていた頃に出会った唯一無二の親友我妻さんと、街に遊びに行ったりする中、二人は次第に障害者の自立に関する運動へと関わっていくことになります。当時はまだ重度の身体障害者と言えば親に一生世話してもらうか、施設に入るかのどちらかしか道がなく、自立という道はありませんでした。その道を切り開くために、鹿野さんや親友の我妻さん、そして小山内さんら札幌いちご会のメンバーが政府との意見を交え、時に対立し、激しく主張をぶつけ合ったりしながらも、世の中の障害者福祉のありようや考え方を変えていきました。

 鹿野さんというのはこういう激動の時代を生きてきただけではなく、自分でも世の中を変えようと戦ってきたのだなと思うと、ただのワガママなおじさんには思えませんでした。

 しかし、この本ではそうした鹿野さんを難病と闘い、そして世の中と戦う〝聖人〟として描いているわけではありません。重度の障害や難病を抱えている人はそれだけで重い病気や難病と闘う気高い人達のように扱われ、神聖視されてしまいがちですが、障害や難病を抱えた人だって普通の人間である。鹿野さんだって時にはボランティアと意見が食い違い、激しく言い争いをし、時には性欲を持て余して深夜にボランティアにアダルトビデオを借りさせに行かせたりする。いい面だけでなく悪い面も当然ある。そうしたいい面も悪い面も全てさらけ出して描いていて、良くも悪くもこれが鹿野靖明であるという等身大の鹿野さんを書いています。だからこそ鹿野さんの人柄やキャラクターに共感できるし、読んで面白いと思えるのだと思いました。

読んでいても鹿野さんの人柄やキャラクターは本当にいいものだなと感じてしまいました。鹿野さんは虚勢を張っているとか、強がっているとか書かれていますが、そのおかげか読んでいても難病を抱えている人を取材したルポとは思えない、明るさやコミカルさがありました。本人に難病を抱えていて生きるのが辛いとか、そういう重さや暗さが全く感じられないんですよね。もちろん、内面では色々と辛い感情を抱えていたりしたのかもしれませんが。

「なんでコイツ24時間介助されてて、狂わないんだろうって、みんなが不思議がるわけさ。そこで色々と発見が始まる――不思議発見だね。」

冒頭で登場する鹿野さんのこの言葉にはユーモアが含まれていますね。その他にも色々と自身の境遇について語っていますがどれも重い障害を抱えているという悲愴感は感じられません。

 そして最後。病院を出て、在宅生活を始めて5年。42歳の時に鹿野さんは亡くなってしまうわけですが、その最後もいかにも鹿野さんらしいものでした。葬式には取材を続けていた渡辺さんを始め、多くのボランティアの方たちがきました。そしてその後のボランティアの方々の様子が描かれるわけですが、鹿野さんは『できないことは仕方ない。ワガママと思われても他人にやってもらうしかない』と数々のワガママを言いながら、ボランティアと共に日々を過ごしてきましたが、彼のワガママが多くの人をボランティアという形で繋ぎ、色々な人に影響を与えていたのだなぁと考えると、とても感慨深い気持ちになりました。自分がもし同じような病気になり、同じ状況になったとしたら、こういう生き方はまずしないでしょうし、できないと思います。

そして、渡辺さんはこのルポを書き終えた後も、鹿野さんの両親の家にお世話になり、ボランティアの方々とも親交があるそうです。まさに鹿野さんが与えてくれた関係ですね。単にいい話で終わるほど単純な作品ではありませんが、読めば確実に何か心に刺さる部分があるとおもいます。

これぞまさに傑作。

ということで今回はここまで。読んでくれてありがとうございました。

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